一説によると、通行する船舶は年間5万隻、筏(いかだ)は1万連に達した、 と言いますから、もの凄い通航量です。お陰で清盛橋の付近の町は、 殷賑を極めたと言われています。
 当時のことですから、小型船が多かったのですが、 それでも低い橋は通航の妨げになりました。ですから、兵庫運河には、いくつかの 個性的な可動橋がありました。残念なことに今は見あたりません。
 =Eへ続く

【大輪田橋。戦災と震災と、二度の大禍を経験した橋です。 左端の木の生えているところは清盛塚。後ろの山は菊水山です。】