新川運河は完成しましたが、 依然として、和田岬沖で海難にあう船は後を絶ちませんでした。
 そこで、明治20年代後半頃から再び兵庫運河の構想が持ち上がり、 新川運河完成の20年後の 明治29(1896)年になって、やっと着工されることになりました。
 しかし、建設反対運動が起ったり、 建設費が当初の予算の何倍にも跳ね上がったりして、工事は難航します。 最後は、推進者の中心だった八尾善四郎が私財を投じることで、 明治32(1899)年にようやく完成しました。
 =Dへ続く

【新川橋付近から。正面は薬仙寺。】