「大正十一年頃市電松原線の道路拡張工事でもとの清盛塚の地は、移転問題が起り議論が紛糾したが、 結局北東へ十一米(現在地)へ移転と決まり、翌年九月に供養して、十月に塔を解体、 地下を調べた結果、墳墓でない事が確認された。」と説明板に書かれています。