大津皇子の死を被りし時に、磐余の池の堤にして涙を流して作る歌

『ももづたふ 磐余の池に 
鳴く鴨を 今日のみ見てや 
雲隠りなむ(416)』


写真中央の畝傍山のやや左奥あたりが磐余でしょうか。
写真左端耳梨山の少し奥あたりに大津の訳語田の家がありました。

そういえば、このあたりは北緯34度32分。
「太陽の道」と呼ばれていましたね。