柿本人麻呂
稲日野も 行き過ぎかてに 思へれば 心恋しき 加古の島見ゆ (巻3 253)
《 稲日野を通り過ぎかねていたところ、 恋しく思っていた加古の島が見える 》
上島、高砂より   人麻呂羈旅の歌、八首連作のうちの五番目の歌なんだが、播磨灘を西下したとき の歌か、東上の際のものか、いろいろ言われている。かりに、稲日野(印南野)を 明石から加古川にかけての平野、加古の島を加古川の河口付近にあった島であると 考えると、西下の際の作とみてよい。   この歌については、まず「行き過ぎかてに」をどう解釈するかという問題がある。 おおざっぱにいって、「稲日野の景色がすばらしくて通りにくく思っているのに」 というように、稲日野を好景とする解釈と、「稲日野の景色が単調でまだかまだか とじりじりしていると」というように稲日野を退屈だとする解釈と二通りあるんだ。 でも、これはおじさんにいわせると問題にならない。   だって、もし後者のような歌だとしたら、稲日野を軽視しているわけで、旅の先々 における安全は、約束されないだろうね。
  「心恋しき 加古の島見ゆ」については、『万葉 通説を疑う(吉永登)』に次の ような卓説がある。   「さて、その『可古』の地名は、日本書紀には『鹿子』とも書かれている(応神紀 に「播磨の鹿子の水門」とある。三宅注)のであるが、この場合、『心恋ひしき』 が『可古』はもとより『鹿子』にも掛けことば的にかかわりを持つということは考 えられそうにない。まして『可』もしくは『鹿』とのかかわりも考えられないこと であろう。残るは『古』もしくは『子』であるとすれば、言うまでもなく『心恋ひ しき』『子』であるが、この『古』に子を意識することができたことは、『まされ る宝古(子)にしかめやも』など数多くのを見ても明らかである。」
  つまり、「加古」の「古」に「子」をダブラせて、心恋しいのは、「加古の島」で あると同時に、家郷の妻でもある、というわけなんだ。 おじさんは、「加古」ということばにたいして古代の人たちは「鹿子(鹿の愛称)」 のイメージを強く持っていたのではないか、と考えているんだ。 応神紀に見られる伝承も、もちろん、鹿に関わる話であるし、播磨国風土記には、 「四方を望みみて、のりたまひしく、『このくには、丘と原野いとひろくして、こ の丘を見るに鹿児のごとし』とのりたまひき。(賀古郡の冒頭の部分。原文に少し 欠落があるため、主格がはっきりしない。後の記述から景行天皇であろうといわれ ている。) かれ、名づけて賀古の郡といふ。み狩せし時、一つの鹿、この丘に走り 登りて鳴きき。その声はひひといひき。かれ、日岡となづく。」とある。
  さて、たとえば、巻八の「秋の相聞」の中の歌、「宇陀の野の秋萩しのぎ鳴く鹿も 妻に恋ふらく我にはまさじ(1609)」、「あしひきの山下とよめ鳴く鹿の言ともし かも我が心づま(1611)」などを詠んでみてもわかるように、鹿の鳴き声は、夫や 妻を呼ぶ声であると思われてきた。 また、一般にいわれているように、加古の島とイナビツマ(風土記では、ナビツマ) とを同一の場所であると考えた場合、イナビツマ、ナビツマは「隠れ妻」という意 味もあり、古代の人たちは、加古の島にたいして、嬬問い、妻恋いのイメージを強 く感じたのではないだろうか。
  おじさんの訳を、書いておくので参考にしてほしい。 「印南野の景色もすばらしくて、通りすぎてしまいたくないと思っているのに、恋 しい妻を思わせる加古の島が見えてきた。」
上島、伊保より

  さて、通説では、加古の島は、印南の川(加古川)の河口付近にあった三角州状の島であ るとされている。しかし、その後の川筋の変化や、土砂の堆積による海岸線の移動 で、その痕跡を見つけるのは大変なんだ。尾上の松で有名な尾上神社や、相生の松 で有名な高砂神社も当然候補地の一つだが、これらの神社は海抜0米に近く洪水や 高潮などの影響をうけやすいため、おじさんは少し気に入らない。
  よく似た条件の万葉故地として大阪の姫島(228/434)をあげることができる。この 姫島も、西淀川区の姫島神社(阪神電鉄、姫島駅下車すぐ)のあたりにあった島で あるとは考えにくい。
  また、風土記印南郡(加古川の右岸一帯)の条に「郡の南の海中に小嶋あり。名を ナビツマといふ。」とあるので、加古の島を内陸部の山には求めにくい。高砂の南 西3里沖合いに浮かぶ上島も伝承の地(風土記揖保郡神嶋の条に、石神が大いに怒 って嵐を起こした話がある。)ということで魅力はあるが、風土記の記述のしかた などから、しっくりいかない。
  まあ、おじさんにとって今のところ、この島は幻の島なんだ。
  そうそう、幻といえば、鹿ノ瀬なども候補地のひとつにいれていいんじゃないだろ うか。鹿ノ瀬というのは、播磨灘のほぼ中央に、東西に横たわる大きな浅瀬のこと で、大潮の時、いちばん浅いところは2メートル位になるといわれている。かつて は、海面に顔を出していたかもしれないよ。これはすこし想像しにくいが、海中を 泳ぐ鹿が一休みすることがあったのかもしれない。
  ついでに、もう一首紹介しておこう。

我妹子が 形見に見むを 印南つま 白波高み よそにかも見む (巻15 3596)
《いとしい妻のよすがとして見ようと思っていたのに、その印南つまを、白波が高 いので、船をよせかねて、遠くに見ることだろう。》
高砂神社   遣新羅使人 が、海上で詠んだ一首なんだ。折りから海が時化てきたため、うねりが 高くなって島に近づけない、その落胆ぶりがわかるだろうか。
  旅人が島に近づいた時、家にいるはずの妻が、波打ち際でにこにこしながらこちら にむかって手を振って迎えてくれる。そんな実際には起こるはずがないことが、こ の島なら起こるかもしれない、旅人にそう思わせるのがこの島なんだよ。
TOP PAGE