人麻呂羈旅の歌、八首連作のうちの五番目の歌なんだが、播磨灘を西下したとき
の歌か、東上の際のものか、いろいろ言われている。かりに、稲日野(印南野)を
明石から加古川にかけての平野、加古の島を加古川の河口付近にあった島であると
考えると、西下の際の作とみてよい。
この歌については、まず「行き過ぎかてに」をどう解釈するかという問題がある。
おおざっぱにいって、「稲日野の景色がすばらしくて通りにくく思っているのに」
というように、稲日野を好景とする解釈と、「稲日野の景色が単調でまだかまだか
とじりじりしていると」というように稲日野を退屈だとする解釈と二通りあるんだ。
でも、これはおじさんにいわせると問題にならない。
だって、もし後者のような歌だとしたら、稲日野を軽視しているわけで、旅の先々
における安全は、約束されないだろうね。
さて、通説では、加古の島は、印南の川(加古川)の河口付近にあった三角州状の島であ
るとされている。しかし、その後の川筋の変化や、土砂の堆積による海岸線の移動
で、その痕跡を見つけるのは大変なんだ。尾上の松で有名な尾上神社や、相生の松
で有名な高砂神社も当然候補地の一つだが、これらの神社は海抜0米に近く洪水や
高潮などの影響をうけやすいため、おじさんは少し気に入らない。
よく似た条件の万葉故地として大阪の姫島(228/434)をあげることができる。この
姫島も、西淀川区の姫島神社(阪神電鉄、姫島駅下車すぐ)のあたりにあった島で
あるとは考えにくい。
また、風土記印南郡(加古川の右岸一帯)の条に「郡の南の海中に小嶋あり。名を
ナビツマといふ。」とあるので、加古の島を内陸部の山には求めにくい。高砂の南
西3里沖合いに浮かぶ上島も伝承の地(風土記揖保郡神嶋の条に、石神が大いに怒
って嵐を起こした話がある。)ということで魅力はあるが、風土記の記述のしかた
などから、しっくりいかない。
まあ、おじさんにとって今のところ、この島は幻の島なんだ。
そうそう、幻といえば、鹿ノ瀬なども候補地のひとつにいれていいんじゃないだろ
うか。鹿ノ瀬というのは、播磨灘のほぼ中央に、東西に横たわる大きな浅瀬のこと
で、大潮の時、いちばん浅いところは2メートル位になるといわれている。かつて
は、海面に顔を出していたかもしれないよ。これはすこし想像しにくいが、海中を
泳ぐ鹿が一休みすることがあったのかもしれない。
ついでに、もう一首紹介しておこう。
我妹子が 形見に見むを 印南つま 白波高み よそにかも見む (巻15 3596)《いとしい妻のよすがとして見ようと思っていたのに、その印南つまを、白波が高 いので、船をよせかねて、遠くに見ることだろう。》
遣新羅使人
が、海上で詠んだ一首なんだ。折りから海が時化てきたため、うねりが
高くなって島に近づけない、その落胆ぶりがわかるだろうか。