高市黒人
吾妹子に 猪名野は見せつ 名次山 角の松原 いつか示さん (巻3 279)
《 わが妻にもう猪名野は見せた。 名次山や角の松原を何時か見せてあげよう。 》
名次神社、二テコ池   猪名野、名次山、角の松原の三つの地名が現在のどのあたりのことなのか。狭い 場所に限定することはむつかしいが、決して風光明媚とはいえないこれらの地を、 妻に見せたいというのはどういうことなのか。なぜ、一首の中に地名を三つも詰め 込んだのか。なにも知らないまま、とくに興味をひくこともなく、作者の名さえ忘 れかけていたのがこの歌なんだ。でも、最近になってすこしはおじさんにも、万葉 が解りかけてきたのか、いまでは、大好きな歌の一つになっているんだよ。
  また、この歌ほど初期万葉の羇旅歌における地名の持つ意味というものを、おじさんに 考えさせてくれた歌はないんだ。
   古代の旅では、行く先々のいたるところに神や 地霊のいる神聖な場所があった。そこでは、人々は礼を失しないよう丁重に挨拶を しなければならなかった。歌は、特に相手を讃める歌は、挨拶として確実に効果を 発揮した。その結果、羇旅歌には、たくさんの地名が詠み込まれるようになった。 「たましづめ」の歌である。 しかし、人々はいつも恐る恐る旅をしていたわけで はない。積極的に神や地霊に接触し、相手の霊力を取り込んで自らの生命力を強化 するために歌を詠むこともあったと考えられる。いわゆる、「たまふり」の歌が、 それなんだ。 おじさんは長い間、「たましづめ」と「たまふり」を別々のものと して考えていたんだ。
  でも、この歌をはじめ、いくつかの歌を読んでいくうちに、 少なくとも人麻呂やこの黒人が活躍した時代は、この両者にはさほどの違いはな かったのではないかと思いはじめたんだ。 そういえば、古代は「たましづめ」も 「たまふり」もどちらも漢字では「鎮魂」という表記をしているよ。
猪名野神社   さて、この歌については、妻同行説と妻不同行説の二つがあるんだ。おじさんは、 この歌も旅の行程にしたがって地名を連ねたものと考えている。だから、妻は同行 してなかったと思う。 妻がついていかなかった理由はよくわからない。一緒に連れて行きたくても行け なかったのは、愛妻が病弱だったからではないかなどと、ついつい想像してしま うんだ。 高市黒人は柿本人麻呂と同時代に活躍した宮廷歌人らしい。 旅の歌をわずか18首残すばかりで、その伝記も一切明らかでないために、人麻呂ほど知ら れてはいない。彼の歌は、旅人の不安や寂寥を詠んだものが多いといわれており、 本歌もその例外ではない。
津門神社(角の松原)   地名を三つも詠み込み、しかも妻への深い愛情が表わ したこの歌、万葉羇旅歌の中の名歌といえないだろうか。 彼の旅もつつがなく終わっただろうし、妻も健康を取り戻したと思うがどうだろう。
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